どうも!痛そうな映像は苦手なきったんです。
年末の人気番組である「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!笑ってはいけないシリーズ」でベッキーがタイキックをされて批難が集まってるらしいですね。1週間たった今でもTwitterのタイムラインをみているとその手のツイートがチラホラ見えるくらいですからね。
でもさ、この「ガキ使の笑ってわいけないシリーズ」ってもう10年以上続いているわけで、なぜいまさら?ベッキーだから?ってすごく疑問に思うんですよ。
僕は痛そうな映像とか苦手なんで好き好んで笑ってはいけないを見るわけではないんだけど、それでも年末の大型特番で長年続いているしなんとなくどういう番組かくらいは知っています。出演者がタイキックをされるのって毎年の恒例なんでしょ?それでなぜベッキーだからっていきなり避難されないといけないんでしょうか?
お笑い芸人が蹴られてるのは良いけどベッキーはかわいそうっていうのであればその考え方の方がよっぽど差別的で危険思想ではないでしょうか?
なんだかすごく違和感を感じたし、もっと言えばちょっと怖い気すらしたのですよね。
人が痛がるのを見て笑うのは悪いことなのか?
「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!笑ってはいけないシリーズ」は長年続いている人気番組である
笑ってはいけないシリーズは長年続いている人気番組です。Wikipediaで調べたところ年末に放送されるようになったのは2006年からとのことで今回で11年目です。
今回の批判で中心となっているのは「人が痛がっている姿をみて笑うのは良くない」という意見なのでしょう。なぜいまさら?とは思うものの言いたいことはわからなくはありません。
しかし、これだけ続いているのはそれなりに視聴率が取れているし支持している人も多いということでしょう。まず、それ自体はしっかりと認めるべきであり、安易に否定すればいいというものではありません。
僕はこの手の番組は好きではないので見ませんが、それはあくまで僕の好みであり他の人が見ることに関して何か言おうとは思いません。
あくまでバラエティ番組の創作を現実と混同してはいけない
批判している人たちはテレビでやっているバラエティ番組と現実を混同しすぎているのではないでしょうか。現実に何も知らない人がいきなりタイキックをされたらそれは暴行事件ですし犯人は批難されて当たり前です。
しかし、「笑ってはいけない」はあくまでバラエティ番組です。ドキュメンタリーでも報道番組でもありません。僕も裏舞台がどうなっているかなんてしませんが、すべて真実であるわけもないし、あくまでバラエティ番組の創作です。それを現実と混同して批難してもしかたのないことです。
真似がいじめにつながる?
「笑ってはいけない」の番組ないで行われる行為を子どもが真似していじめにつながるとか、番組がいじめそのものだという意見もよく見かけましたが、これもどうでしょうか。
たしかに真似するというのはあるでしょう。いい歳した大人でもテレビの「いじり」とかを真似して人をバカにしたりするのがいますからね。子どもならなおさらです。
しかし、じゃあそうしたテレビ番組をなくせばいいかというとそんな単純なものでもないでしょう。無菌室みたいな状態で育てれば健康な精神が育つとは思えませんし、都合の悪い情報をすべてシャットアウトするなんて不可能です。
子どもが真似をしないように導いていくことこそが教育ではないのでしょうか。
ベッキーがタイキックされたことを批判することこそ危険思想であると思う
「笑ってはいけない」は10年を超える長寿番組です。それがベッキーがタイキックされたことで批判されるということにとても違和感を感じます。
なかには今回の騒動で初めて番組の内容を知ったという人もいるでしょうが、これだけの番組ですから批難している人のほとんどは「ベッキーだから」批難しているのでしょう。同じ番組内で他の出演者もタイキックをはじめとした罰ゲームを受けているはずなのにベッキーがタイキックを受けたところばかりやり玉にあげられていることからも間違いないでしょう。
ベッキー以外の出演者はタイキックを受けてもいいのでしょうか?今まで何も言わなかった、なんなら喜んで番組を見ていた人たちがベッキーだから批難するというのは「他の出演者は暴力を受けても良い」と言ってるようなものではありませんか?
これこそまさにいじめの思想です。「あいつは○○だからいじめてもいいんだ」といういじめの発想です。
僕はベッキーがタイキックされたことを批判することこそ危険思想であると思うのです。
まとめ
ベッキーに同情が集まった理由はなんとなくわかります。でも、そこには差別的な意識が少なからず含まれていると思うのです。
今回の騒動にはどうしても違和感があったし、「あいつは○○だからいじめてもいいんだ」といういじめ的な考え方を裏返しに思えてならないのです。
この記事は公開するか迷ったのですが、僕の中にどうしても違和感が残ってしまっていたので公開することにしました。